「特攻前に覚醒剤を打った」「彼らはただの弾」特攻隊の真実ドキュメンタリー映画、公開されてしまう…
1: うんち(茸) [RU]2023/12/17(日) 07:57:45.42 ID:IdlJQRTK0?2BP(1500)太平洋戦争末期、日本軍が搭乗員ごと戦闘機などで敵艦に体当たりした特攻。出撃する兵士には覚醒剤ヒロポンが使われたことが知られる。
元教員、相可文代さん(73)=大阪府茨木市=は、出撃前の隊員に注射した元軍医らに会い「ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍」(論創社)という本にまとめ、証言を映像にも残そうとしている。ヒロポンは液体で注射や酒に混入した「元気酒」、錠剤の「突撃錠」として使われたことは元特攻兵らが書き残している。相可さんは注射した元海軍軍医、蒲原宏さん(100)=新潟市=を探し出し、証言を記録した。
◇「眠気防止の新薬」のつもりが
ヒロポンの注射を始めたのは3月ごろだった。沖縄戦が始まり、基地に特攻兵が全国から集結。夜間に出撃するため、注射は最年少だった蒲原さんの役目になることが多かった。1回の出撃で5~7機が飛び立ち、一度に二十数人、計200人ほどに打ったという。当時は「眠気防止の新薬」と思い、悪天候などで帰還した兵の話でも効果はよくわからなかった。ヒロポンと知ったのは戦後のことだ。
出撃前夜、腹痛を訴えた兵の診察に部屋に行ったことがある。兵士たちは眠ることができず、「脂ぎった顔をして、目だけがギョロギョロしてるんだよ」。鬼気迫る表情は胸の内の動揺を無理やり抑えつけているようだった。「ああいう人たちの気持ちはどうだったろうか。本当に申し訳ない」。蒲原さんは、声を詰まらせた。基地では飛び立つ特攻兵を何度も見送った。戦況は悪化し、すでにまともな実戦機さえなかった。「『白菊』なんてのは練習機でねえ、夕焼けの中をヨタヨタふらふら行くんだ。(兵が)こんなのに乗るかと思ったら涙が出たね」と振り返る。基地の無線室で行方を追うと、出撃機の無線は最後にパッと途切れた。
蒲原さんは戦後、新潟に戻り、整形外科医として病院に務めた。被爆者3人のケロイド切除も手がけた。「(手術後)すぐにまたケロイドになっちゃう。すごい細胞変化がある。気の毒でした」という。整形医学史の研究者としても知られ、日本医史学会理事長を長く務めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/706c10649ce051521b606183130ce65011c0bdd0
マイナスの人間非難するくらい出来るだろ
教員時代も自分の主張を児童・生徒に吹き込んだクチだろうな
地雷原に無警戒で突っ込ませるやつもいるし
クソ以下の記事
アメリカまだ医薬品としては使ってるんだよな
まあどっちが正しのか知らないけど
アメリカも兵士をただの道具扱いで酷い作戦実行してるのな
ベトナム戦争でもやってるし何なら今でも使ってんじゃないの?
自動操縦も無く長時間飛行するからな
禁止になったの戦後だいぶ経ってからだもんな
当時の他国の飛行機にも自動操縦はない訳で、
長時間飛行を強要したのがそもそも問題なんだろ
まあ当時は精密ミサイルとかないしね
上陸戦なら○割は死傷とか見積もらないと作戦進められないし
それが美談になる死か犬死にかなんて構ってる余裕無い
普通にアメリカは硫黄島から飛んで来てたけど?
かならず接敵するわけでもないからな
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